2014年5月20日

北の国の箱入りZ エピソード1

 

フェアレディーS30Zに惚れ込んだ人達が何とか手に入れたいと思った時、いろんな手段で様々なルートで対象を探し始めると思います。私が最初に手に入れた35年前でさえ、中古車屋さんからは姿を消しつつありました。そして頭の中が常にS30Zでいっぱいになっている状態のときに、だんだんとある幻想に取りつかれるようになります。 普通の個人宅のとてもS30Zなど置いてなさそうな納屋の奥深くにほこりだらけになりながらも新車状態のまま仕舞いこまれままになっているフェアレディーZがあるそうな という幻伝説の様な話です。

 

でもほとんどの人達はそれにめぐり合うことは出来るわけもなく、結局有名なショップさんなら間違いないだろうとショップさんめぐりをして、その中で良さそうと思った物を購入するというのが現実ですね。でも、私も含めてほとんどの人がそうだと思うのですが、そうやって手に入れた後でも、仕舞いこまれたままになっている箱入りZの幻伝説 がなんとなく頭の片隅から離れることは無いのです。

 

でそんな時にほとんどの人の中で呪文のように繰り返される言葉が有りますね。

ワンオーナー・未再生未改造・無事故車 のフレーズですね。


ところがです、どういうめぐりあわせかその 幻の箱入りZ といっても良い個体が存在し、そのオーナー様からコンタクトが有ったのです。2014年の4月14日のことでした。

 

どうでしょう、このコンディション

・1オーナーに間違いないです。オーナーは新車整備手帳や車検の現在までのコピーそれと、キロ数毎の整備メモを保管していました。

・最初の19年は関東で普通に使用され、そのうち約10年間は車庫保管でした。走行距離は8万kM

・その後、お仕事の都合で青森に引っ越し、そこから19年間を抹消登録で車庫の中で保管されていました。

・しかも仕舞いこみぱなしでは無く定期的に自宅敷地内をドッグランして運動不足にならないように整備していたものです。画像はオーナー様の敷地内の様子です。

 

 

 

上の画像でもわかるように青森の澄んだ湿気の無い外気の中で、当時ものの少しベージュがかった純正色の白がまだまだ当時の艶を保っています。車が好きな人で車検切れでも廃車に踏み切れず持ち続ける人はいるでしょうが、このコンディションで手入れしながら19年間保持する人はなかなかいないと思います。その愛着には頭が下がります。

 

今回、還暦を節目にして手放したいが、改造なぞせずにこのままの状態で大切にしてくれる人に譲りたいということで私のホームページを見たことがきっかけでコンタクトしてくれました。いろんなショップやオークションが有る中で私に預けてくれたことは本当にありがたいことです。

 

 ここから具体的な話を進めてきたのですが、なんせ場所が青森と静岡と1000kM離れていますので、おいそれと現車を見ることもできません。数枚の写真と電話とメールで話を進めていきますが、もう信頼しか担保は無いです。でもワンオーナーで有ることは大きな安心材料でしたが、私の気持ちは最初から決まっていました。この 信頼されて継承を依頼された箱入りZを引き取るのです。

 

 

 

 

 

 

2014年5月25日 

北の国へ  エピソード2

 

ここから具体的な話に入るのですが、このワンオーナー・未再生・未改造・車庫保管・クーラー付き・7万k・インジェクションのこのAS30ですが値段の付けようがないですが、値段はやはり決めなければなりません。そしてグリーンのZの時もそうでしたが、今回も1発回答で決まりました。このような場面で値段交渉のくりかえしはふさわしくありません。

 

そして次に運搬手段ですが、あの有名な日本で一番シェアのあるという運送会社ではやはりかなりの値段(12万円)です。かといって普通の車ではないですから、運送時の事故は痛手が大きいのであまり無理はしたくありません。ヤマト運輸などは古い車は引き受けてくれません。

 

で自給自足理論で自分で車載車をレンタルして引き取りに行く方法を検討しましたが、レンタル代だけで7万・高速代・ガソリン代・宿泊費を合計すると運送屋さんの費用をかんたんに上回ります。

 

仮ナンバーを取って自走も考えましたが、やはり19年間遠出したことない車で1000kMを走るのは無謀そうでさすがにやめました。

 

こういった運送の場合こちらから出発して引き取ると往復の手間となりますが、運送会社はそこでやりくりしていて向こうの業者と連携して片道の費用で済むようにしています。そこが運送業者の強みなんですが、ですから運送費にはその仲介手数料みたいのがかなり含まれているはずです。ですから大きなところへ行くほど値段が上がるのは想像が付くのですが、では小さなところへ頼むと保障の問題が心配です。

 

で、いろいろ決めかねていたのですが、そのうちふっと有ることを思いだしました。

 

 

思い出したことはこの瀬戸内海の希望の島から海を越えてやってきたサファリーZのことです。
この様にトランスポーターでやってきたのですが、このときこの運転手さんが帰るときに”なんか運ぶ時は連絡してくんな”(くるなということでは無いです)と言っていたのを思い出したのです。

 

それでこの会社の連絡先を聞いてコンタクトを取ってここにお任せすることにしました。

値段もリーズナブル(8万)でした。

 

 

 

 やれやれ運送会社も決まったし、あとは到着を待つだけと思っていましたがずっと気にかかることがもう一つありました。これほど大事にされているAS30、まるで箱入り娘のようですがこのまま一度も持ち主の方に直接ご挨拶しないまま引き取っていいのだろうか・・・。

 うーん 運送費も浮いたことだし、この際是非この箱入りZの持ち主に会い、このAS30が保管されていた土地の空気に触れてみたいと考え出しました。

 

 

引き取りの場所なぞ見ていて青森の五所川原周辺の情報を見ていましたらさらにあることに気が付きました。五所川原から津軽鉄道でさらに40分で太宰 治の生まれ故郷である金木というところがあるようです。太宰 治は中学生のころそのほとんどの著作を読んだと思いますが今ではすっかり忘れていますが、当時は真剣に読んでいたと思います。ここを訪れるのもいいかな・・・。

 

 

 

 

5月25日に新幹線に乗りました。東海道新幹線で東京まで行き、そこから東北新幹線で新青森まで、乗換1回です。東北新幹線は全席指定でした。北にいくほど田園地帯が増えてきて丁度植え付け準備で水を張っている風景が見られます。日本にもまだまだこんな広い面積の食糧源が残っているんだなー。そこからバスで五所川原まで40分。途中、いくつか廃屋のようになっている家を見ましたが、青森の厳しい自然と過疎のせいかなと思いましたが、不思議と東京などの都会近郊にあるようなすさんだ荒れ方は感じませんでした。

 


青森五所川原へ到着し、太宰 治の生まれ故郷である金木へ行くことにしました。画像は切符ですが硬券というのでしょうか、昔よく有った切符で、改札でM字形にハサミで切り込みを入れてくれます。記念に持って帰る人が結構いました。

 

 

五所川原の所在地です。すげーとおい。

ここ五所川原から津軽鉄道で40分のところが小説家 太宰 治の出生地となります。

太宰 治はこんな風貌の方で生誕105年となるようですので、生きていれば105歳ということですが、なんとなく心中を図って亡くなったことは有名ですね。太宰の心中には世俗的な理由は無かった様に記憶しています。


走れメロス号

 

ディーゼル単線

これが生家の津島家邸宅ですが、今現在は旅館として売却されて経営されていた時の名前 斜陽館 として呼ばれています。なんでこの青森の1地方にこんな豪邸が建てられたのかというと、太宰のおじいさんが農家回りの油行商人から金融商の様な事を始めて、担保の田んぼを買い集めて地主となったことがきっかけらしいです。当時北海道では米は取れずこの青森に食糧を頼っていた為需要があり、その機に乗じて次々と倍々ゲームと続けてとうとうこの金木地区一帯すべての地主になったようです。明治時代のことですが、今でいえば石油王といったところでしょうか。 斜陽館の名前の由来は2回の部屋のふすまに書かれた漢書の中に斜陽の文字が有ることに由来しているとか。小説 斜陽 とはどちらが先だったのでしょう。

その後、津島家は戦時中の米統制令で米の自由取引が出来なくなったことで存在意義を失い、没落していった様です。業種変換が間にあわなかったということか。

 

そしてここは津島家の離れを移築したもので、もともとは斜陽館と接していたのですが、斜陽館の売却を機に移築されたものです。太宰が執筆当時使用していた部屋そのもので文壇のかたがたも頻繁に出入りしていたところということです。今は一般公開されていて、当時のままの内部の様子も体験できます。

 

周辺を散策してみましたが特段に変わったところは無く、ごく普通の田舎町ですので、太宰の小説がその周囲の環境から生まれたものではなく、自分のおかれた立場に迷ったことから生まれていることがあらためて確認できました。やはり自分だけが成金王の子息として特別視されることに耐えられなかった、あるいはそういう思い込みから抜けられなかったということか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

分かりにくいですが、五所川原への帰りの電車の向こうに岩木山がうっすらと見えています。


これは五所川原市内にあるねぷたセンターに保管されている巨大ねぷた(正式名称わすれました)高さがビル4階分ぐらいあります。この屋台をお祭りの時期に引きまわすわけですね。

 

これは地元の方々が手作りで作るもので、現在5体くらいあるらしいです。

このあまり人口も多くないような、冬は半年あまりも雪に閉ざされるようなところで、この様なものを作り上げるのですからそのエネルギーには驚きます。

 

 

この日はこのセンターの向かいにある津軽ジョンガラ節の居酒屋風ライブハウスのようなところで社会見学でしたが、ジョンガラ修行中のお姉さんがアルバイトしていてときどきライブをやってくれました。津軽三味線にはネック部にエコーをかける為の木組みのカラクリがついていてセルフエコーが可能らしいです。

 

 

さあ、明日はいよいよ箱入りZとご対面です。

 

 

 

 

さあ、いよいよ受け取り当日です。

画像は持ち主の敷地内になりますが、運動場くらいの広さがありますので、この中を走っているだけでもかなりの運動になります。

 

お宅の画像は出せませんがペンションの様なたたずまいで、その横に立派な車庫がひと棟ありそこでこのAS30Zは保管されていました。

 

実は昨日すでにこちらに招かれて夕食をごちそうになり、お近づきのお酒までいただきました。ありがとうございます。


全く古さを感じさせません。

 

一応私もこの運動場をテストランしましたが、状態が悪いはずがありません。

この敷地はそのまま湖に接しており、理想的なレイアウトです。ここに小さなボート小屋を作って、そこから自分で作った木製カヌーを漕ぎだして湖岸伝いに一周回り、その後湖の真中にぷかぷか浮かびながら陸にあるこのZを眺め、そして知らぬ間にうたた寝ができたら最高のシチュエーションではないですか。


 ナンバーはダミーですので、この車とは関係ないものです。ナンバーは付いていた方がしっくりきますね。

 

確かにこれほど芝生の似合う車はなかなかないです。

 

 

 

 

 

この日の午後積載車がやって来て積みこみに立ち会いました。時間がのしていて静岡に帰れる最終便にぎりぎり飛び乗り青森を後にしました。

 

 

 

 

 

 

 


2014年5月30日

 

いよいよ箱入りZが搬入されてきました。

 

全く古さを感じさせません。


DATSUNマークはステッカー後付けですね。 ホイールは社外品です。

 


エプロンが少し変形しているようですがすぐに直せます。


左 48年式 右50年式


今後のメンテナンスの目安として各部の状態を把握していきます。

 

後輪のタイヤハウス サイドシル部  まっさらです。

後ろ側もまっさら。

変にすべすべでなく適度なやれ状態でなんの手も加えられていない状態です。

 

分からないように変な補修がされて不自然にきれいすぎると厚化粧が疑われますが、これはその疑い有り得ません。

 

 

 


フロントタイヤハウス前側 ここは水や泥が溜まり易く錆がちですが問題なし。

40年間良くこの状態で経過してきたものです。

そしてフロントタイヤハウス後ろ側も問題なし。

奥に見えるレインフォースメントもしっかりしています。


このノーズ部分も傷みやすいところですが、やれ感はありますが腐りとは無縁です。

 

チリの合いも自然に良いです。


フェアレディーS30の弱点の一つであるこのフェンダー後部は、水や泥が溜まり易くほとんどの個体で内側から錆が進行して表面に達します。このZは外から見る限り状態は奇蹟的に良いです。

 

右側のジャッキアップポイントの部分に錆がありますが、これは原因が明確です。

ここも弱点の一つですが、袋状になっているサイドシルに水が溜まり内側から穴が開きます。

このZにはまったくその兆候はありません。

 


そしてこの部分ですが右側は問題ありませんがさすがに左側は、このパネルが2枚重ねになっている部分に少し重い(内部まで進行してそうな)錆があります。ここは処理が必要かもしれませんが、なるべく原型を維持する方向にします。

ダッシュ割れなし

これも宣伝文句で使われるくらいですからそれだけ割れている車が多いということですよね。

 

当時ものクーラーです。

 

つりさげタイプですがあんまり家具調でなくて違和感の少ないデザインです。

フロアトンネルのカバーのデザインが新鮮です。

48年まではクロスハッチの目がもっと大きかった様な。

 

52年式は起毛カーペットタイプとなっています。

 

そしてそのカーペット下 良くドライバーでつついたらそのまま貫通したというびっくり話を聞くところですが、 このZは別の意味でびっくりです。ひょっとすると40年間一度もめくられたことは無いかも。

トランクルームもこのとおり
左側のレインフォースメント 埃がかぶっていますがしわとか補修跡は見られなく、素直な状態です。
右側のレインフォースメント やはり素直です。 フロント側が事故るとたいていこのフォースメントに影響を受けます。結果ここにしわが出来たり補修後を再塗装した色違いが見られますが、このZはまったくその心配は無いです。

 

レインフォースメントつづき 若干のこずり傷・凹みは有りますが大きく変形した様な痕跡はありません。

 

奥に写っているフロアーは黒っぽく見えますが、防振塗料アンダーコートです。新車時からのものと思われます。


北の国から来た箱入りZ はこの状態で私の工房の一等地でしばらくお休みしていただきます。

 

また、補修計画を練って定期的に手をいれてゆくこととします。

 

当面はホイールの改修と、フェンダー後部・フロントエプロンなどのチョイ凹みの復元

 

その次はブッシュ類の交換かなと思います。

 

またその都度アップしていきます。

これはこのZの抹消登録証明書ですが、この書類がないとすべての車はただの箱になってしまいますが、走る箱にするためには是非必要です。これは19年前の書類で、今回所有権を私名義に変更する為静岡陸運支局に手続きに行きました。車検証でなくても、この抹消登録証の名義だけを変更することができるのですね。

 

で所定の書類を準備して行ったのですが、なんと書類提出時事務所の皆さんがそれを見てみんなで顔を見合わせています。何となく変だなと思いつつしばらく待っていたのですが、事務所の担当者にカウンターの横の方に呼び出されて、手続きに非常に時間がかかることを告げられました。

 

説明によると陸運事務所のコンピューターシステムがこの19年間の間に何回か更新されており、この抹消登録証が検索できない状態になったようです。つまり あの消えた年金問題と同じだということですね。本人の申し出が無い限りというか、何らかの証明書類が無い限り永久に年金がもらえない、箱も走れないという事態になります。

 

 

担当者は親切な人で抹消登録証は正規で有ることは間違いなく、新システムで登録することで消えた抹消登録証も蘇ることを約束してくれました。

 

陸運事務所の方たちも19年前の書類を見ることはめったにないでしょうから驚いたのも無理もないかもしれません。同じような書類をお持ちの方は早く更新に行った方がいいですよ~~。

 

 

 


2019年2月1日

箱入りZの社会復帰

 北の国から来た箱入りZの続編となります。

 北の国青森から、Zが生産されてからの40年間の内20年間をガレージの中で大切に保管されてきたS30Zワンオーナー車が私のところにやってきたのは、2014年のことですから早5年が経ちました。

そしてとうとう熱烈なS30Zファンとの出会いで社会復帰することとなりました。静岡市内に住む40代の自動車大学の先生ですので必ず箱入りZを大事にしてくれるものと思います。しかし、まず20年間も動かずにガレージ内保管された自動車はどんな状態なのでしょう。車体については雨風は全く受けない環境で夏はエアコン内にいましたので劣化は少ないとは思いますが、さて路上復帰となると・・・。 詳細は こちら